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薩摩藩独自の麓集落とは? まち歩きで学ぶいちき串木野の「日本遺産」

まち歩きの様子と案内役の東川隆太郎さん

まち歩きの様子と案内役の東川隆太郎さん

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 いちき串木野市の薩摩金山私学校(いちき串木野市野下)で2月22日、「日本遺産」に登録された鹿児島県の麓地区について学ぶ講演とまち歩きが行われた。主催は薩摩金山蔵。

東川隆太郎さん講演の様子

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 「かごしま探検の会」代表理事・東川隆太郎さんが講師を務め、テーマは「実は、見た目よりも奥深い!僕的(ぼくてき)串木野麓あるき」。当日は中高年を中心に約50人が参加した。鹿児島県では昨年、いちき串木野市・麓地区を含む9カ所が「日本遺産」に認定されている。講演会では、「鹿児島城(鶴丸城)」や出水麓(ふもと)、知覧麓、志布志麓など、他の麓地区についても解説し、串木野麓の魅力を浮き彫りにした。

 武士の城といえば「天守閣」を思い浮かべるが、鹿児島の城は「天守閣のない屋形造りの城」。シラス台地の平坦な上部に平屋の城を造ったことで、「天然の要塞(ようさい)」ともいえる山城となっている。麓とは、「山城と、そのまさに麓に広がる武家屋敷群全体を指す」という。「薩摩藩特有の地方支配制度で、当時は120もの麓があった」とも。

 まち歩きでは、人気の戦国武将・島津豊久が生まれた串木野城跡や、地頭仮屋跡、石管水道などクイズを出しながら案内。串木野城隣に位置する南方神社では、秀吉の朝鮮出兵に島津氏が参陣する前に起きた「梅北一揆」などを解説。島津義久(義弘の兄)は出発前に同神社に参詣したが、そのすぐ後にこの一揆が起こり、結果として義久は弟の歳久を討たざるを得なくなった。クイズでは、この一揆が「加藤清正の軍勢によって何日で鎮圧されたか?」などを出題。答えは「3日」。

 串木野麓はシラス台地を利用した他の麓とは違い、「台地上ではなく低地に広がることから、交通や水利を優先した面がある」。残されている石管水道や石垣から、「地域インフラを支えた石工職人の技術にも注目してほしい」とも。

 東川さんは「日本遺産は日本のものを再認識して世界に伝える仕組み。鹿児島各地に魅了される文化財はたくさんある。それを育てていく、生かしていくことが大事」と力説する。

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