鹿児島のジュエリー作家、久冨木原妙(くふきはらたえ)さんが七宝・彫金アトリエ「本村工芸美術研究所」(鹿児島市薬師)を3代目として引き継ぎ、今年で10年目を迎えた。
1952(昭和27)年創業の同研究所。創業者の故・本村宗睦さんは七宝・彫金の工芸家で、日本初の体系的な七宝技法書「七宝辞典」を執筆した。妙さんは祖父・宗睦さんが遺した技術や道具を絶やしたくないという思いから、2010(平成22)年、勤めていた金融機関を退職し、母・睦美さんと共に同研究所を引き継いだ。
「10年たったと聞いて、やや寒気を感じた。あっという間で、あれもこれもやっていない、という気持ち。でも一生懸命走り続けてきた」と妙さん。
宗睦さんの代からある七宝・彫金の教室運営は60年近くになる。現在は体験講座や初級~上級に分けたアクセサリー制作教室などを月6回程度行っている。緊急事態宣言で一時は教室を休止したが、宣言解除後に再開したときは参加者が途端に増えたという。「ここで作ることが癒やしになる」という声があり、長い自粛後、「心のつながりを求めて来てくれた人がいると知ってうれしかった」とも。
教室を運営しながら七宝額絵も制作してきたが、「やればやるほど本当に向いているのだろうかという疑問もあった」と妙さん。「一つのものをもっと作り込みたいという思いが強かった」とも。そんなとき、七宝ジュエリーの第一人者・中嶋邦夫さんに出会い、高度な金属加工技術で作り込まれた作品に「目もくらむような衝撃」を受けたという。
弟子を取らない中嶋さんの紹介で「日本のトップジュエラー」首藤治さんのスクールを紹介してもらい、鹿児島から名古屋への通学を決めた。「教室運営の合間を縫って、2~3週間、名古屋に滞在する生活を約1年。ジュエリー制作の基礎をゼロから学び直した。糸のこぎりでまっすぐに切る作業だけで朝から晩まで3日間。バーナーの使い方などすでに知っていることでも基礎からやり直した」と妙さん。「回りの生徒は自分よりずっと若い人ばかり。日本一の先生が育てた生徒だから皆、その技術は高く、泣きたくなることも多かった」と振り返る。「すごい人たちを知っているからこそ、ずっと謙虚でいられる」とも。
スクール生活を終え、2016(平成28)年には、金属と七宝によるオリジナルジュエリーのブランド「Tae.K」を起ち上げた。伝統の技に妙さんの感性を生かしたジュエリーは着実にファンを集め、マルヤガーデンズ(鹿児島市呉服町)のギャラリーで2年連続、「Tae K. Jewelry展」を開催するに至った。
現在は、オリジナルデザインの一点物ジュエリーを受注制作している。コロナ禍にも、オーダーはむしろ増えているという。「一点物や技術にこだわってやり続けてきたことが今評価してもらえているのだと思う」とも。「デザインはお任せというお客さまが多いが、大まかな方向性やどのような背景でジュエリーを注文するのかは聞くようにしている。キーワードが数字の5であれば、あしらうハナミズキを5つにすることも」。
この先の10年については、「海外市場など、もっと販路を広げていきたい。イベントがキャンセルになっても揺るがないような、地に足をつけた展開をしていきたい」と話し、「ジュエリーの大作も作りたい」と語気を強めた。
7月4日には、「ベルハウジング霧島店 GALLERY」(霧島市隼人町)で特別企画展「七宝・彫金 本村工芸美術研究所展『重層ーかさなりゆく時ー』」を予定している(8月2日まで)。7月23日14時には睦美さんと妙さんとのギャラリートークも行われる。